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花押
一本の線に宿るもの 花押というものに、以前から強く惹かれていました。 それは単なる署名ではなく、その人の「在り方」や「志」、さらには生きてきた時間までもが、一本の線の中に宿るものだと感じていたからです。 一本の線に、在り方が宿る 古来、武将や公家、茶人たちは、自らの精神性や覚悟を花押に込めました。 名前を書くという行為を超え、「自分はどう生きるのか」「何を大切にするのか」その意思そのものを、形として残していたのだと思います。 今回、ご縁をいただき、有川先生に導いていただきながら、自分自身の内側と静かに向き合う時間を持つことができました。 描こうとして描いたというより、自分の中に元々存在していたものが、少しずつ浮かび上がってきた。 そんな感覚でした。 完成した花押には、「大」「浩」「結」という、自分自身の歩みや願いが重なっています。 「結」という文字には、特に強い意味を感じています。 人と人を結ぶ。場と人を結ぶ。過去と未来を結ぶ。見える世界と見えない世界を結ぶ。 それは、私自身が建築を通してずっと向き合ってきたことでもあります。 建築とは、単に建物
20 時間前


結び目に立つ
先日、とある古民家を訪ねた。 建物の前に立った瞬間、 言葉になる前に、 「本物だ」と感じた。 深い軒 大きな屋根 時を受け止めてきた木 静かな陰影 風の流れ そこには、単なる“古い建物”ではない、 時間そのものが宿っていた。 最近、不思議なほど、 様々な出来事や人との出会いが、 一本の線で繋がり始めている。 別々に存在していたものが、 ある瞬間から意味を持ち始め、 一つの流れとなって立ち現れてくる感覚。 この建物を見ながら感じたのは、 「保存」という言葉だけでは語れない、 “時間を未来へ結ぶ”ということだった。 古いものを残すのではなく、 そこに宿る命や記憶を、 次の時代へ手渡していく。 それは、 建築というより、 「結び」に近い営みなのかもしれない。 「命を観て、結び、創る」 最近、 この言葉の意味が、 少しずつ現実の中で輪郭を持ち始めている。 偶然ではなく、 導かれるように。
5月13日


火と土と時間の中で
― 身延・竹下明宏氏を偲ぶ会にて ― 令和8年5月4日、ご縁をいただき、身延にある陶芸家・竹下明宏氏の工房を訪ねた。 この日は、竹下氏を偲ぶ会でもあった。 山に抱かれるように建つ古民家 深い屋根 黒く燻された梁 囲炉裏の火 煙 土 光 そこには、現代の建築が失いかけているものが静かに存在していた。 竹下氏は、身延山久遠寺の「三十番神」をはじめ、数々の作品を手掛けられた陶芸家でもある。土と火を通して、単に“器”を作るのではなく、祈りや気配までも形にしようとしていたのではないか。 そんなことを感じた。 空間を「整える」のではなく、 時間を積み重ねながら、 場そのものを育てていく感覚。 囲炉裏を囲み、 煙が立ち上がり、 煤が木に染み込み、 人の気配が場に蓄積していく。 人が亡くなっても、その人が生きた時間や思いは、場に残るのだと感じた。 この工房には、竹下氏の気配が今も静かに息づいていた。 便利さや均質さとは別の、もっと根源的な「豊かさ」。 特に印象的だったのは、空気が生きていること。 風 煙 香り 熱 光の揺らぎ 目には見えないものが、確かに空間をつ
5月6日


ロゴに込めた思い
QUESTWORKSが大切にしているのは、「命を観て、結び、創る」という在り方です。 建築とは、単に建物をつくることではなく、人・場・自然、その間に流れる見えない関係性を受け止め、新たな循環として形にしていく営みだと考えています。 このロゴマークは、その思想を視覚化したものです。 6色の日本の伝統色には、それぞれ固有の意味と役割があります。色は単なる装飾ではなく、空間の質や人の感覚に静かに作用する「気配」として存在しています。 中央の円環は、宇宙や命の循環、そして人と自然、過去と未来が結ばれていく流れを表しています。 また、QUESTWORKSでは、色と音の関係性も大切にしています。色は“光の波”、音は“空気の波”。どちらも波動として空間に響き、人の感覚や心に影響を与えます。 各色には、「ア・オ・ウ・エ・イ・ン」という母音の響きを重ねています。 日本には古くから、音には意味と力が宿るという「言霊(ことたま)」の感性があります。発せられる音は、人の意識や場の空気に作用し、見えない関係性を整えていくものとして捉えられてきました。 QUESTWORKS
5月6日


砥石と刃
成長を促す「磨かれる」というプロセス 私たちは日々、さまざまな「摩擦」と向き合いながら生きている。それは人との関係であったり、社会の流れであったり、自身の内側との対話であったりする。そうした中で、ふと浮かんだのが「砥石と刃」の関係である。 特に、東洋と西洋における刃の研ぎ方の違いは、単なる技術の差を超え、ものの見方そのものに深く結びついているように思えてならない。 日本の刃は、砥石に身をゆだねる 日本刀や和包丁は、砥石の上に静かに身を乗せ、自らの重みと、職人の繊細な感覚によって研がれていく。刃は砥石に対して「身を預ける」。無理な力を加えることなく、静けさの中で、少しずつ、内なる本質を露わにしていく。 これはまさに、己を空にし、他にゆだねることで研ぎ澄まされていく姿そのものだ。自分自身で自分を磨くのではなく、他との関係性の中で、本来の輝きを取り戻していく。 この在り方は、茶道や合氣道、そして私が学んできた建築の根底にある「道」の精神とも重なってくる。そこには我を抜き、調和に身をおくという、東洋的な世界観が息づいている。 西洋の刃は、砥石を自らに押し
5月6日
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